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今年の12月の神戸の街のようすをまじえながらちょっと長いプロローグ
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神戸の街は私がこの仕事につくきっかけをつくってくれたところです。今の方向へ向くスタート地点である高知のデザイン事務所にも入社していなかったころ、自分が絵をかくことを仕事にできるなんて思ってもみなかったころ、私のはじめての展覧会はこの街からスタートしました。 |
東京の某出版社の年鑑のコンテストに入賞して、私のいろんな作品と高知へ取材に来てくれたページをみた神戸のギャラリーのキュレーターの方から、ある日お電話をいただきました。
そこは神戸のどまんなか三宮下山手通りに当時あたらしくオープンしたばかりのおしゃれな外観といろんな遊びやしかけをもつ子供のためのビル「東急キッズプラザ ブーミン」といいました。 うちあわせに訪ねた時にやっていた、ブーミンビル オープニング企画の展覧会はそのころサントリーのCMやいろんな方面 で真ちゅうなどでつくった機械じかけの骨組みのみえるふしぎな魚などの「からくりワールド」という呼び名で大活躍をしていた作家さんでした。 「ほんとうに私でいいのですか・・・・」とおじけづいたのを覚えています。私の当時大好きな作家さんでもありました。 |
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キュレーターの方はまだ若くてとてもかわいらしい小柄な山口知子さんといい(今は吉川さん)ました。見た目はかわいいのですが話をしていくと、どんどんリードするタイプの頼りになるやり手キュレーターさんなのです
うちあわせに来ているだけのつもりが「うちのレストルームに絵を描いていきませんか?」ということになって、このすてきなビルのトイレかーとそそられ、つい仕事をしてしまいました。 |
このころまだ何も先のことをきめられなかった自分は吉川さんから「三本さんのはじめての展覧会がうちだったことを、うれしくおもいます」といってくださったのが妙に心にのこり、勇気づけられた気がしました。がんばらなくっちゃ、私の絵をみてくれてるひとがいるんだと思ったのだと思います。
それから吉川さんやその紹介で東急系列のギャラリーが何度か展覧会を開いてくださいました。その1つに東急ハンズ三宮店があり、わりと定期的に神戸に行く用事ができていたころ、阪神大震災がおこったのです。 |
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1月17日のさむい朝、寝起きでリモコンのスイッチを入れ、うつったTVの画面
を見た時の衝撃は今も忘れられません。次々にうつるひどい画面の中に東急ハンズの真後ろにある生田神社がありました。展覧会の合間に息抜きによく散歩にいったり、おみくじをひいたりして「堂々としてりっぱな神社だなあ」
といつもほれぼれしていたのですが、その大きな神社の鳥居が地面にドスンと倒れていたのです。
何度か行くうちに自分の中にもつ見慣れた景色の1つとして愛着を持っていたので、大切なものがこわされてしまった気がしました。神戸出身で高知支社にいた新聞記者の友人は地震後呼び戻され、そのまま関西勤務となったり、私のまわりでもいろんな変化がありました。 |
とても長い前書きになりましたが、今回で10回目の阪神のルミナリエは神戸・淡路大震災犠牲者の鎮魂と都市の復興と再生への希望をたくして大震災のおこった年の12月から開催されました。 ナビゲーターはいつものみもれっちゃパンダです。 |
行きがけの淡路島のパーキングエリアでこのねこに出会う。じゃこ天をあげると急に顔色(?)がよくなったのにびっくり。お昼に神戸について南京街でごはんをたべたりプロローグの写 真のあたりをうろうろ。 |
[ルミナリエ会場にて] 夜になり、どんどん人がルミナリエ会場にあつまり、あっという間に大行列になる。ルミナリエ周辺もステキにライトアップ。並びながら待ちながら、すこしずつまわりもたのしみます。 |
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パンダは赤が似合うね〜 |
行列が少しずつ進むと先の方にアーチがみえてきました!!
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じわじわ
すいこまれちゃうよー。 |
もう、まわりの人もみんな携帯やカメラの嵐です。私は携帯で撮ったので色があまり美しくないのですが、少しでも空気が伝わりますように。 |
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アーチの行きつく先には・・・フラワーロードへつながる東遊園地です。広場をかこむ大きな円形のルミナリエ待っていました。 |
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ということで、私のロングエピソード付き2004年版ルミナリエレポートでした。